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2013
05.08

洛中洛外図舟木本

Category: 未分類
ソラボル

徐羅伐の都は碁盤の網目状の規則正しい整然とした姿だったようですね。
真骨、大等の貴族の方々のお住まいは、住所というものがあったなら、月城通り上ル、下ル、右入る、左入る・・・なんて、表わしていたんでしょうかね~。




洛中洛外図舟木本

「洛中洛外図 舟木本」

「洛中洛外図」は、徐羅伐の街並みと同じように碁盤の目のような京都の街並みの市街と郊外に行き交う人々が、この絵が描かれた当時の風俗と共に、隅々まで細やかに表現されている、屏風絵です。
洛中洛外図はいくつかあって、この本は舟木さんという方が所蔵されていた所以で「舟木本」と名付けられた洛中洛外図の解説本です。
博物館などで、こういった屏風に描かれた絵を見る機会があっても、一つ一つ丹念に見ることなく、ただへえぇ…細かく描かれているもんだなあと全体を眺めて終わるだけでしたが、描かれている絵を拡大してくれているので、ただ眺めるだけでも、当時の人々の様子がこんなにも面白おかしく描かれていたのか!ってわかって楽しいですよ!
この舟木本は、洛中洛外図の中でも、全体を描く視点が違っていて、内容も個性的と言われているようなんですが、この解説本も屏風の見方の解説やこの絵の時代考証などをきちんと押さえつつも、ピックアップした絵の一部に、例えば生臭坊主と尼さんの密会現場目撃!?ってな俗っぽい著者さんの妄想吹き出しをつけられていたり、橋の上に床屋さんを開いている理由といったことなどを、ユーモアたっぷりに当時の風俗の解説をしてくれているので、まったく堅苦しくなくて面白いですv

どれどれ…            俺みたいにすぐ刀をぬくヤツがいる・・・
読書1  読書2


トンマンの時代に徐羅伐の街並みの様子を描く絵師さんがいて、その絵が残されていたらどんな風に描かれていたでしょうね!

☆徐羅伐の都に出てきたばかりの旅人をカモに、詐欺を働くムンノ語りの僧もどきと大食漢の子分
☆郎徒と尼さんの清い密会現場
☆日常生活品を求めたくも、大勢の娘さんたちの輪に入れずにいる立ち姿が漢な娘さん
☆遊花を片手に抱きながら、えらそうに街の真ん中を歩く徐羅伐十花郎たち
☆会員制の賭博場で女を侍られて酒令具を転がし、扇で口元を隠すもゴーカイに笑う雅な人
☆屋敷の前で怪しい商人を相手に珍しい渡来品を選んであげている貴族坊ちゃんのデート現場
☆虜にした男に、意味ありげに囁きかける、豪華に着飾った貴婦人
☆月城見物にやってきた、巨人のような西域人
☆瞻星台の前で、そろそろ種まきに最適な時期だと話し合う格物士たち
☆城の片隅で、お目当てのコに花束を渡そうとして、にやけた顔を隠せないやけに黒いヤツ

などなど・・・徐羅伐の街並みと、そこに活き活きと息づくトンマンの愛すべき民が描かれたものがあったら、目まぐるしく忙しい日々を送るトンマンが、休む前のひと時に眺めるものとして癒しとなりますかね~。
寝室の隅っこに飾るものとしてトンマンにプレゼントしたいです。


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コメント
週末なので来ちゃいました。嬉しいお言葉ありがとうございます。げんさんのやる気スイッチを押せて良かったです。早速さん付けさせて頂きますね。私もさん呼びでお願いします。

〉  徐羅伐の都は碁盤の網目状
 
「洛中洛外図 舟木本」ですか。今度ゆっくり図書館で探してみます。
「 閼川橋」と「閼川路」 と「花郎小学校」と「善徳女子高」とかは後世に命名されたんでしょうが、当時はどんな名前だっんでしょうね。

国仙通り、 花郎通り、原花路、ミセン橋(通称逢い引き橋)などを串刺すようにミシル通り上ル、下ル、右入る、左入る・・・の名前があった。けれども、ミシル亡き後、マヤ王妃が命じて名前は都に一字もなくなり、月城通り上ル、下ル、右入る、左入る・・・に改名したかもしれません。

都をジオラマのように楼閣から見下ろし、
活気ある町の風景ならトンマン公主も安心できたんてしょうが、なぜ発展しないのか?と民の苦しみを肌で感じていたのかも。
そんな中貴族の買い占めが始り・・・。価格が安定したら租税問題。街中も地方も貴族に搾取される仕組みだったけどトンマン公主が解決してくれて良かったです。続く
tadadot 2013.05.12 18:39 | 編集
続きです。
 〉寝室の隅っこに飾るものとしてトンマンに プレゼントしたいです。

 〉例えば生臭坊主と尼さん の密会現場目撃!?ってな俗っぽい著者さ んの妄想吹き出しをつけられていたり、

げんさんの着眼点と願望に乗っかって、私も妄想が・・・。都の調査を命じられたピダムが江戸時代の浮世絵シュン画” 徐羅伐版 “を入手して陛下に手渡します。っていうのはどうでしょう。だって都で出回っている流行本ですよ、入手困難で・・・みたいな。そしてピダムはまたトンマンに怒られるのでした。 それでもピダムは「サービス業は儲かるので規制しすぎてはいけません。」トンマン「儲かるのは知ってる。宿泊業をしていたからな。!しかしフウゾクは仏教で規制せねば!」ピダム「民の娯楽を奪うのですか。民に希望を生きる楽しみを与えるのが主の努めでは?」・・・すみません。触発されちゃいました。
眼精疲労には画面を凝視しないに限るんですが、私もげんさんに眼福スイッチを押して頂きました。いっぱい読ませて頂きますね!いつも見たことないお写真ばかりなのでよくうまいこと見つけて来られるな~と拝見しています。
tadadot 2013.05.12 18:48 | 編集
tadaさん(私も早速w) 今晩は~w

>今度ゆっくり図書館で探してみます。

うふふ。機会あったら読んでみてくださいませ。

>「 閼川橋」と「閼川路」 と「花郎小学校」と「善徳女子高」

徐羅伐、今の慶州市は、mukugeさんの旅行記録の記事でもありましたが、新羅愛に満ちた地名が付けられていますよね~。慶州市も昔は月城郡という名称の時期があったんですよね。

>国仙通り、 花郎通り、原花路、ミセン橋(通称逢い引き橋)などを串刺すようにミシル通り

ミシルの時代だってことが明快に分かるような感じですねえ(笑)マヤ王妃のミシルへの恨みをぶちまけた場面が印象的ですが、ええミシルが亡き後は、ミシルの名を禁じたピダムが改名させたんじゃないかと思いますぅ。

>都をジオラマのように楼閣から・・・

公主として統治する側となって、猛勉強で皇室や新羅の現状を知り得ていくほどに、やるべきことを自ずから見出して行動に移していったトンマンは、何の問題が発生してない時でも忙しく情報収集に余念がなかったんだろうなあと、楼閣から新羅の発展が停滞していることを、ただ憂いているだけというイメージはないですねえ。
租税問題も、買い占め騒動の流れで前倒しになりましたが、いずれと温めていたことだったようですし。あれ、これ、和白会議で却下されてしまったんじゃ?…残念ながら。
また、問題が発生したら自ら町やその現場に繰り出すなどしていたんで、まだ多少気軽に動けたはずの公主時代は、民の様子を肌で感じるならば、楼閣といった離れたところからでなく、もっと直接目で確かめるといった行動をしていたんじゃないかなと思いますよ~トンマンv
げんこつdot 2013.05.15 19:29 | 編集
tadaさん ふたたび今晩はw

tadaさんの妄想を触発しちゃいましたかwうはは。

シュン画で思い出しましたが、トンマンの時代よりは少し前の時代のものになるようですが、シュン画を立体的にしたような土偶が出土されているんですよね。
でもそれは農作業などで人手が多く必要とした時代に、羞恥的なものとしてでなく子孫繁栄などの意味合いを持った、人々の日常生活のすべてを正直に表現された、新羅の独特な考え方が反映されているもののようです。
なもんで、諸外国からシュン画というものが入ってきたとしても、すでに新羅では身近なものとしてあった表現のものが、他の国では娯楽というものになるのかぁ…と、めっちゃ大らかな感じな反応を民はするのかもしれないですねえ(笑)
gyaoを観てましたら、紙は貴重品であることを思わせる、紙に代わる「羊皮」という言葉が確か出てきたんですよね。墨も貴重品だったと思いますが、ミシルが絵を描いていた時に使っていた色彩豊かな道具ものは、さらに手に入りにくい貴重品であったでしょうから、徐羅伐版として庶民がもしまねをして作られたものが出回るとしたら、羊皮に墨で描かれた「色気」のないもの・・・なんてしょ~もないこと言ってみますv

>眼福スイッチ

ありがとうございます!目に楽しい画像をお見せできるようこれからもがんばって探していきますねwあまり目が疲れないように気をつけながら。tadaさんも眼精疲労の蓄積にご注意くださいませ~。

コメントありがとうございましたv
げんこつdot 2013.05.15 19:35 | 編集
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